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楽しむってなんでしょうか
悩む。悩む。それをすっきり自分の中で落とし込めたと思ったら、また新たな悩みが出てくる。繰り返される。
ただ何も考えず日々を楽しみたいのに。この「楽しい」という気持ちはどこからやってくるのか、そんなことまで考えている。
考えるのは自分という人間を理解するには、大切な作業だと思う。しかし、決して頭で、または理性の力では理解できない「感情」があることも忘れてはならない。
感情はとても曖昧でグラデーションを持ち、言語化されない。急に空から降ってきたような喜怒哀楽に対して、信じてよいか不安になる。
だから、何とか意味を見出そうと頭に逃げ込んでしまう。自然に発生しているものに、余計な概念を見出そうとする。それで感情は更に複雑になる。
悩みに対して導き出した答えは、スッと腑に落ちるときもあれば、「何か違うな。」と体や心から信号が来ることもある。
人は考える生き物だと分かっている。けれど、こんなにぐちゃぐちゃに悩んで精神をすり減らすくらいなら、脳みそなんて無かったら良いのにと思う。
昔はがむしゃらに楽しめていたゲームは、今ではいかに効率良くクリアできるかを追い求めている。寄り道をすることを無駄と切り捨ててしまう。
クリアがタスクになっているから、そのゲームにはもう興味を持てなくなる。それ以上追及することはない。最近は敢えて攻略法を調べない。寄り道こそゲームの面白さだと感じている。
詩「お風呂」
あるときは
温かさを肌で感じる
顔はほころぶ
何もかも忘れて
あるときは
温かさを頭で感じる
そこに私は居ない
意識は流れ あっちへこっちへ
同じお風呂なのに
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